「仰いで無限の生命を知り、伏して千萬の神を知る。キリスト生誕一九六〇年九月一日、宇宙この天体に神人を生す。其れ天霊にして神各位一階位に叙す。」 これは、生きているもので始めて貰っているのは、私が、要するに私よりも、天霊という言葉です。これが、貰ってあるわけです。したがいまして、その責任者を忘れると、霊が昇天をしません。しませんというよりも、大神たちがそれを許さんようにしておるわけです。それは何のためかと言うと、分派活動を許さない。霊的抗争を起こさないために、頂点をはずしてない、こういうことでございます。
_開祖天霊師
開祖天霊師が、1960年9月1日に神格位一階位を拝受いたしました、その言葉を開祖天霊師が甲府市の書家の方に書いてもらったものがこの写真の扁額です。現在甲府市に御座居ます天霊神霊研究所の御神前に掲げてあります。
「魂清浄の神法」「十七霊界」「天霊」の三位一体、これが基礎です。一つ抜けても成立いたしません。
天霊職は継承されます。継承されたその方が「天霊」という存在です。現世に於きまして、その職に御座居ますのが二代目天霊師です。その責任者を忘れますと、霊は昇天いたしません。否定しては尚の事です。ですから天霊師に繋がって修行するという事に相成るわけでございます。
下記、開祖天霊師_談
・・・魂清浄の神法を作らせなければならない、魂清浄の神法を作らせなければならない様な、の、必要性がある。そこで生まれたのが十七霊界、霊界であり、その責任者が天霊であるという事に相成ってまいったわけでございます。従いましてこれは天霊というのは所謂あくまでも職と考えて頂いてよろしゅうございます。責任者、責任職ですね。天霊が偉いからという意味ではございません。偉いとか偉くないとかいう問題ではなくてこういう職が必要になっていたんだ。十七霊界と魂清浄の神法と、十七霊界と天霊そのものが責任者、職で必要になって来た。だから魂清浄の祝詞、祝詞ですね、祝詞とこれは三位一体であるんだという事を申上げるのは、三位一体であるんだという風に申上げる事ができるわけでございます。だからこの内のどれを否定致しましても、・・大神樣方は動きません。・・・えー、ああこれはうまい魂清浄はうまいもんだ、そんなの天霊と関係持たんでやったっていいや、いう風な考え方を持ちますと大神様の方が御動きになりません。じゃ大神の様な顔をしてやるというのは何かというと、迷霊がやっております。迷霊がやっております。はっきり大神の方で分らなくちゃいいんですが、分ると大神の方でそれぞれくづれては困るので、人救いが出来ないので大体処理をしよう、いう風なお話しになっております。
_開祖天霊師
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